浮田家で“歴活”に参加してきました!
「金沢歴活」を主催されている安藤竜さんの歴史トークが聞けるというので、“富山朝活”に参加してきました。
加賀藩の「奥山廻り役」というお役目を代々つとめた家で、立山黒部の山林管理や飛騨方面の国境警備などを行い明治ま代々この家が継承したそうで、代官職も兼ねて文政期には三千石の格式だったとか。
現代の問題意識から歴史を捉える姿勢が面白かった
タイトルの通りですが、歴史にとってこうした視点をもつことが現代的な意味をもち面白かったりしますよね。逆にそれが致命的になったりするときもあるのも歴史の側面ではあるんですが。
語り口がテンポよく聞きやすく、例えも絶妙(微妙?)で面白くてあっと間の2時間でした
主なトークテーマは次の二つ。
・日本の長時間労働のルーツとは?
農業生産や家族単位の変貌を、寛永の飢饉と加賀藩の「改作法」に求め、租税改革等により「頑張れば頑張るほど暮らしが良くなる」時代に、また限られた農地で生産性を上げるために肥料や品種の改良など質の部分の向上に努めていき、結果、江戸時代初期の日本に“勤勉革命”が発生したという話。
・江戸時代の若者も仕事を3年でやめたのか?
三井越後屋京都本店の若手の動向を、幕末史料をもとにウォッチした研究を紹介。
79人の“社員”のう7年後には52人が離職(離職率65.8%)、そのうち7割が若手(“若者の離職率”73%)*1
その理由、3位 病気、 2位 実家の商売を継ぐ、 1位 「不埒(ふらち)之儀」、家出。不埒とは悪いこと。子供なら店のお金で買い食いや芝居見物、大人なら同じく店の金や商品の横流しで得た金で博打、女、芝居見物(デート)、あるいは相場。
ちょっと事情は現代と違うみたいですが、とても面白かったです。
帰りは刀尾神社へ
浮田家からすぐ近くの刀尾(たちお)神社へ寄りました。
県道174号は立山道です。古くから立山参詣の人々が歩いた道。
この道沿いに神社の入り口はあるのですが、とにかく参道が長い。400メートルとか。
かつて立山参詣の際には必ず参拝していったという重要なお宮で、12世紀の文書に出てくる「立山外宮」がここではとの説。
特徴ある両部の赤鳥居。
立山信仰のお宮の鳥居は本来この形だけど、今やここしか残っていないのだとか。
実は拝殿に向かって右手には「刀尾寺」があり、神仏習合時代の関係性がわかります。
浮田家も山廻りの役務上、立山神には特に敬意を捧げたらしく、刀尾神社の石造物にはいくつも浮田家の名前を見つけることができます。
今日はせっかく浮田家に来たので、そうした刻字を確認しに来ました。
参道には湯を沸かして立山参詣者に与えたとも、湯立て神事に用いたとも、湯立て笹で立山参詣者を祓い清めたともいわれる釜戸の跡。
刀尾神社 ↓
というようなシルバーウィーク2日目の午前でした。
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